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三蔵法師の話(7世紀のバーミアン)

 6日記事よりつづく。

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玄奘は帰国後、持ち帰った仏典の翻訳に残りの生涯を賭ける。皇帝からは政事に参画することを求められたが、仏典漢訳に余生を集中することの理解をえて、翻訳事業に対して帝の全面的な支援を受けている。麟徳元年(664)に、玄奘三蔵は62歳で没するが、訳業19年、死の間際まで漢訳への翻訳に打ちこんだ。それでも、持ち帰った経典の約3分の1しか訳せなかったという。玄奘三蔵が翻訳した経典の数は、大般若経600巻をはじめ74部1335巻にのぼる。

今、日本で最も読誦される「般若心経」の基となったのは、この大般若経である。

大変画期的な翻訳とされ、玄奘より前の翻訳は「旧訳[くやく]」といわれ、玄奘以後の翻訳を「新訳」と称して区別され、この彼の仏典翻訳によって唐代の仏教興隆の基礎が築かれた。

玄奘は帰国後、このように訳経に専念したため、唯識学の教学の研究と伝道は、一番弟子の慈恩大師に任せた。慈恩大師は姓を窺[き]、名を基[き]といい、17歳のときに玄奘に見出されてその弟子となるが、豪放磊落[ごうほうらいらく]な性格の人物であったという。彼は玄奘から諸国の言語を学び、玄奘の訳経の手助けもしながら、唯識教学を研究して、その奥義をきわめている。

<寺沢龍 「薬師寺再興」草思社より転載したものを加筆、修正しています>

つづく


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