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  • 2015.10.01 Thursday
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その後のコンスタンツェ


コンスタンツェはモーツァルトの奥さんの名前です。悪妻の代表的なひとりといわれたりもしますが、映画「アマデウス」では、ちょっとイメージが違いました(下記にその理由があります)。

今日はそのコンスタンツェが亡くなった日だそうです。1842年のことですが、生まれたのは1762年ですから、満80歳まで生きたことになります。

ファイル:Constanze Mozart Lange 1783 engraving detail.jpg

モーツァルトが亡くなったのが、1791年のことですから、そのあと50年も生きたわけですね。

その後の彼女にはさまざまな評価があります。以下ウィキぺディアの記述をコピペしておきます。

...........................................................

モーツァルトの死亡した1791年、コンスタンツェは2人の子供の養育とモーツァルトの残した負債に独りで立ち向かうこととなった。家庭が大いに貧困に苦しんでいたのにもかかわらず、レクイエムの未完成の総譜を含む自筆譜をすぐには手放さず、1799年に音楽出版社ヨハン・アントン・アンドレに売却されたのが最初である。

さらにその10年後の1809年にコンスタンツェはデンマークの使節秘書・外交官であるゲオルク・ニコラウス・ニッセン(en)と再婚した。ニッセンと共にモーツァルトの最初の伝記を執筆した。1821年にこの夫婦はザルツブルクへ引っ越し、1826年にニッセンはそこで逝去している。

晩年のコンスタンツェはドームにほど近いミハエル広場に面した住居に暮らし、1841年にはモーツァルテウムの設立にも関与した。1842年3月6日にコンスタンツェは没するが、ミハエル広場には同年9月4日にミュンヘンの彫刻家ルートヴィッヒ・シュヴァンターラー(Ludwig Schwanthaler)作のモーツァルト記念像が立てられ、その後モーツァルト広場と命名された。

コンスタンツェの墓は、新市街の聖セバスティアン教会にある。同じ墓にはモーツァルトの父であるレオポルト・モーツァルト、2番目の夫ニッセン、姉アロイジアも眠る。

 悪妻説!!
 
1840年のコンスタンツェコンスタンツェを悪妻と見なすのは後世の観点であり、世界三大悪妻に数え上げるのも妥当とは言えない。彼女を悪妻とする人はいくつかの論拠を挙げているが、いずれも反駁しうるものである。

モーツァルトの伝記はコンスタンツェの視点から描かれており、自分に不都合な事実には触れていない。
浪費家であった。
モーツァルトが死んだ時、別荘で遊んでいた。
自筆の楽譜や書簡を売却している。特に自分に不都合な書簡は破棄している。
モーツァルトの葬儀をないがしろにした(ゆえにモーツァルトの墓がどこにあるかわからない。共同墓地に葬られたからである)。
再婚した(ゆえに不貞であるとされた)。
子供(父親は公式にはモーツァルト)に、モーツァルトの弟子ジュースマイヤーの名前をつけている(フランツ・クサーヴァー・モーツァルト、モーツァルト二世)。ゆえに生前から二人は関係があったのではないか?という憶測。
これらのうち幾つかは、生活のためにやむを得ず行ったこともあるであろうし、また、モーツァルトという音楽家を偉大であると評価するあまりに、史料の損失の責任を彼女に被せすぎている面も否めない。批判の出典を調べていくと同時代の記録どころか後世の悪意に満ちた推測であることもまた多い。これら批判に対する反論としては例えば以下のようなものが見られる。

周囲の人々の手紙などで残された人物評によれば教養が高く家事にも熱心な快活な娘であって、不精で愚かであるとする悪妻説の人物像は当てはまらない。何よりモーツァルト自身が妻への愛情に溢れた手紙を残している。
モーツァルトは実際には晩年もかなりの収入があり、夫妻(モーツァルト自身もかなりの浪費家であった)とも収入に見合った出費をしていた。
もともと病弱でモーツァルトの死の前にコンスタンツェも病に倒れており、モーツァルト自身が別荘での療養に行かせた。コンスタンツェは夫の死の前に帰宅しており、別荘で遊んでいたわけではない。
楽譜等を売却したのは、子供を抱えての夫の死後の生活を支えるためである。
モーツァルトの葬儀が薄葬であり、埋葬も共同墓地であったのは皇帝ヨーゼフ2世の葬儀合理化政策と慣習に従ったものにすぎない。
再婚自体も生活を支えるためであり、夫ニッセンとともにモーツァルトの名を高めるために尽力している。
コンスタンツェは「思慮深く、経済観念も発達していて、夫の作品を守ったことは、多くの資料が証明している」(ミシェル・パルティ)とする意見もある。

こうした意見を受けてか「アマデウス」では生活苦に陥っても夫の作品を誇りに思い、作品の屈辱的な扱いに憤慨するという一面が描かれた。


 


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