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  • 2015.10.01 Thursday
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リスクと人間行動

 
社会心理学の主要テーマのひとつに「集合行動論」があります。

今回の大震災にあたって、「冷静な対応を」という政府の決まり文句についての可否が取りざたされていますが、集合行動についていつも思うことは、これらのほとんどが「事後的な分析」であることです。

心理学は科学ですから、観察可能性にはじまり、いくつかの科学としての要件を満たすべきです。が、予測可能性ということについては、化学(バケガク)にように、これとこれを混ぜればこういう反応が…ということが、心理学においてはなかなかむずかしいのです。

これは社会心理学のみならず、多くの心理学の領域で見られるものですが、往々にして人はこれに気づきにくいのです。

「冷静な対応を」ということが、「冷静でいられない状況」についての説得力を持つ場合もあります。

太平洋戦争の時の「大本営発表」というものが、戦争後期ではほとんどウソだったことはあまりにも有名です。戦後のマスコミは「大本営発表」をたれながしてしまった反省から、どちらかといえば、政権に対して距離をおく姿勢で報道してきました。

こういう歴史的経緯をふまえると、官房長官らが「冷静な対応を」といった場合、その裏読みをしようと考えるのは当たり前のことです。

公報しようとする側と、報道する側の論理が同じではいけない・・・というマスコミの戦後の論理が、結局のところ、受け手の側に軸足を定めにくい状況を生み出している、ということになります。

では、どうすればいいか・・・。

むずかしいですね(私なりの素案はもちろんあります)



心理の達人オーディオセミナーのご紹介

京都のライセンススクールで、私のお話した「社会心理学」についてのCDを出してくださることになりました。

よかったら下記をご覧ください。 

http://www.lab-profile-lsc.com/shinri/


(関西支部金崎さんのご紹介です)

ソーシャルネットワークと英国王のスピーチ

やっとみてきました。なかなかおもしろかったです。



が、下記作品の予告編をみて、社会心理学専攻としては、こちらがとっても気になりました。



予告編の中で、国王がヒットラーの演説を映画で見て、「なにを言っているかわからないが、演説がうまい」というシーンがありました。集合行動論では、ヒットラーの話がしばしば登場しますが、このセリフはまさに群集心理の最大のポイントを的確に表現しています。ぜひ見たいです。

この2作品が今年のアカデミー賞の最有力候補とのことですが、見なくても、英国王のスピーチが有利だと感じました。

それにしてもイギリスという国は、国王をテーマにこういう映画ができたり、「クイーン」のような映画ができたり、すごい(悪い意味ではありません)国民性だと思います。



いいわけは内的要因か?

昨日の講演会はおかげさまで無事終了しました。研究会からも出席してくださり、ありがとうございました。また来年も1月に同じ場所でお話しをする予定ですので、よろしくお願いします…ずいぶん先の話ですが…(笑) 

さて講演の中で、原因帰属についてお話をしましたところ、聴講された会員のMさんから下記の質問をいただきました。いい質問でしたので、ブログで返信させていただきます。

質問:
>原因帰属の話で内的要因、外的要因についてです。
>
>例えば、Aさんが任せられた仕事でミスをしてしまい、上司に怒られたという場合の原因を考えた場合
>「Aさんの雑な性格」→内的要因
>「他の上司からも急ぎの仕事を言われていて時間がなか>った」→外的要因


>・・・ということだと思いますが

答え

原因帰属は、シチュエーションの問題ではなく、ミスをしたAさんの心理的な負荷について、Aさんが
その原因についてどう考えるか…ということを考えるものです。そこにベースとなるのがAさんの達成動機です。この質問は職場における問題ですから、基本となるのは、仕事に対する達成動機がベースとなります。それを前提にして、

*Aさんが、その失敗は「自分の努力不足による」と考えるようならば、Aさんは達成動機の高い性格と考えられる(内的要因)。「雑な性格」だと自分を客観的に理解しているとすれば、性格的に目的意識が高いと考えられますので、就職の面接の時や性格テストでも高い評価になると思います(いいか、悪いかは別として、企業はこういう性格の人を欲しがりますので)

外的要因はおっしゃるとおりですが、ポイントは、その理由が本当だったかどうかにも多少影響されますので、もし職場でそういう理由をいったとすれば、なぜ忙しいということ、自分の手にあまる…ということを先に言わなかったか、と問い詰められることになりますね。Aさんの内面でそう思ったとした場合、確かに外的要因に原因を帰属させようとしている、と考えることができます。

このように、原因帰属は、達成動機との関係性において成立すると考えられますが、実社会では、単純に2分法で理解しづらいと思います。

質問
>例えば「上司の性格が怒りっぽい」というような上司の性格を理由にした場合は、内的要因、外的要因どちらになるのでしょうか?

答え
上記はどちらかといえば外的要因ですね。ただし「上司がおこりっぽい」という事実に対する客観評価が難しいので、要注意ですね。Aさんが上司の人間性として「おこりっぽい」という認識をしていたとして、それに客観性があるかどうか…ということがポイントですが、カウンセリングにおいては、まず第一にクライエントへの非審判的態度が求められますので、Aさんをカウンセリングするとすれば、「上司はおこりっぽい」というAさんの主張をまず受け入れる(Aさんの主観的理解を受け入れる)ことに
なります(ここが結構難しいです)。

質問
>上司の性格は上司の内面になるので内的要因なのか?
>それともAさんから見たら上司の性格はAさんの内面ではないので外的要因になるのか?

答え
上に書いたように、この問題は相対的なものではなく、あくまでAさんの内面の問題なので、上司の内面は関係がありません。ここが心理カウンセリングと会社における相談(労務管理や人事でやる)との決定的な違いになると思います。

このあたりは、社会福祉士養成講座テキスト「心理学」(旧版)のなかに「動機づけ」という個所があり、わかりやすく説明されています。


>明日は国試ですね。
>友達が受験します。
>がんばってほしいものです。

>では、また次回の研究会を楽しみにしております。


「疎い」と語った正直さ

 
今朝の朝刊やニュースで、管さんの「疎い」発言が取り上げられていました。

私は、昨日の記事に書いたリベラリズムとリアリズムの話の延長で、管さんはめずらしくリアリズムを語ったと感じました。人間はときとして正直になれるものですね。

それにしても、こういうことを総理大臣がいえる日本は平和です。最近、アフリカ諸国の混乱がニュースで取り上げられていますが、こういった国で、もしリーダーがこういった言葉を使おうものなら、おそらくクーデタものでしょう。

日本ではこういう発言をしてもさほど国政に影響をあたえません。それは総理大臣のリーダシップが強くないからで、それを支える優秀な官僚がいるからでしょう。

ボーダー その線を越える時 (転載)

 
産経新聞の連載記事を転載します。


リストカットやめる」「“命”考えた」

2011.1.15 20:58

 生と死、性差、情報、モンスター…。多様な境界の現場を報告する連載「ボーダー その線を越える時」(1日〜11日付)に、多くの読者からメールや手紙などで意見をいただいた。

 ●「生」と「死」

 一昨年7月に1008グラムで生まれた子供を育ている父親は、子供が新生児集中治療室(NICU)に入っていた4カ月間、毎日妻と病院に通う中で《恥ずかしながら「命」について本気で考えた》という。

 子供は今でも在宅酸素療法に助けられての生活を送っているが、《生まれてくれて良かった、あきらめなくて良かった、と思わずにはいられない》。

 81歳の母親を昨年暮れに胃がんで亡くした次女(51)は、自宅の仏壇脇の箱から母親が亡くなる1年前に書いた詩を発見した。その詩の一節−。《黙って静かに眠るから 心の中で語り合おう … それが自然のおきてだから…》。この詩を読んだ次女は《すでにこの人は1年前に精神的にはボーダーラーインを越えていたのではないか》と感じたという。

 いつも夫婦で、死を迎える時のことを話し合っているという女性(73)は《命は尊いものですが、誰にでも寿命があります。延命治療はせず、自然にこの世を去ることを心から望んでます》と記した。

 ●「性」

 10代のころから性差に違和感を覚え続け、親との関係もうまくいかずに自殺未遂の経験もあるという男性(33)は《今の日本社会で「性」の境界を生きるということは、最悪の場合「生死」の境界(選択)にも影響すると考えます》。

 企業で人事を担当している男性(36)は、社内に性同一性障害の男性社員がいることに触れた上で、記事を通して《障害を抱える本人の苦労を改めて認識した》と同時に、《それを受け入れなければならない会社という第三者の複雑な気持ちもご理解いただきたい》と訴えた。

 ●「モンスター」

 33歳の男性はモンスター化を防ぐ方策として「思いやり」を挙げ、《相手を気遣う気持ちが何よりも大切だと思います》と指摘。

 ほかにも《個人の自由、権利ばかりを強調してきた教育を見直し、国民として果たすべき責任を子供のころからきちんと植えつけていく必要がある》《社会での一般常識の啓蒙(けいもう)のようなことの積み重ねが、モンスターを減らすことになるのではないか》《このような記事を目にすることで、クレーマー側、そしてクレームを受ける側が歩み寄れるかもしれない》といった意見もあった。

 ●「情報」

 中学2年のときに飛び降り自殺を図った経験を持つ高校1年の女子生徒は、ネット上で生中継された首つり自殺に絡み、悪意のある書き込みが相次いだことを取り上げた記事について、《自殺を中継した男の人に対する言葉が酷(ひど)すぎる》《見知らぬ誰かが傷つくネット社会が早く終わってほしいと思う》と記し、さらに続けた。

 《まだ自殺を考えてしまう自分だけど、リストカットはもうやめようと思いました。私は将来の夢があります。それは、マッサージ屋さんになって、今までずっと支えてくれた家族に恩返しをすることです。大切な人の笑顔の為に生きようとすることについて、記事を読んで考えさせられました》

     ◇

 今後もさまざまなボーダーを紙面で取り上げていきます。意見や感想、体験などをお寄せください。社会部FAX 03・3275・8750 社会部Eメール news@sankei.co.jp


森田正馬と森田療法

 



今日は森田療法の創始者として知られる森田正馬(まさたけ)の生まれた日(1874年:明治7年)とのことです。

森田療法については、彼の母校である東京慈恵会医科大学に森田療法センターがあって、そのサイトに下記のように簡潔に記されています。


森田療法とは、慈恵医大精神神経科・初代教授の森田正馬(もりたまさたけ)が自らの神経症体験を通して創始した、入院を基本とする神経症の精神療法です。

日本で生まれ、独自に発展したこの治療法の特徴は、神経症の不安や恐怖を排除するのではなく「受け入れること」で「とらわれ」から脱出するという点、また、自分の中にある健康な力や自然治癒力を最大限に生かしていくという点にあります。

恐怖や不安はより良くより良く生きようとする欲望(生の欲望)と表裏一体のものであり、人間誰もが持っている自然な感情です。しかし神経症に陥る方は、不安や恐怖を「あってはいけないもの」として「排除しよう」とするあまり、かえってそれにとらわれるという悪循環に陥ってしまうのです。

森田療法では、不安を「あるがまま」に受け入れながら、よりよくより良く生きようとする欲望を建設的な行動という形で発揮し、自分らしい生き方を実現することを目指しています。入院治療の中でのさまざまな体験によって、不安や悩みを受け入れながら、症状への「とらわれ」から離れることができ、本来の健康な欲求が生かされてくるのです。
(以上引用)

私は1977年に京都で開催された第4回国際心身医学会でこの療法に出会いましたが、セッションは「東洋の心理療法」という部門で、他に内観とヨガについての発表がありました。

これを契機として、内観、森田療法を学ぶようになりました。森田療法はどちらかといえば禅宗の影響、内観は浄土真宗の影響があって、私自身は結果的に浄土真宗系の仏教を学び、そのため内観の方によっていくことになりましたが、どちらも日本仏教という共通項はあるように感じています。


認知心理学 −注意と記憶−

 
日曜日の科目修了試験、認知心理学を受ける方へ。


認知心理学とは?

(広義)人間の知的機能の解明にかかわる心理学である。
(狭義)人間を一種の情報処理システムとみなす人間観に基づき、その情報処理過程の解明によって、心的過程を理解しようとする心理学の一分野である。

認知心理学の対象となる人間の機能は、我々が日常でよく使っているものである。その代表的なものに「知覚」、「注意」や「記憶」がある。

たとえば、私たちがカーナビの音声ガイド機能を使っている場合を想定すると、視覚や聴覚から得た膨大な情報(視聴感覚・知覚)のなかから、必要とするものを選択して選び出し(選択的注意)、それらを認識(記憶照合)し、自分の目的に合わせて判断意志決定)する、という行動(運動プログラミング)というプロセスを踏む。

このようなプロセスは、もともとひとつひとつの複雑な要素から構成されているが、私たちはふだんそれを意識しないまま、応用している。

こういった知覚のはたらきを解明しようとするのが、認知心理学における実験である。

認知のメカニズムは、こういった実験によって確認される。



注意とは知覚することである。

ここには「スキーマ」の役割が重要である。

 


今日は人権の日

 
今日、12月10日は人権の日です。1948年、国連で世界人権宣言が採択されたことにちなみます。

有名な「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」は、この宣言の第1条にあります。これは古典的には17世紀のイギリスの思想家ジョン・ロックの思想の影響から記されたフランス人権宣言、アメリカの独立宣言の趣旨を受け継いだものです。

制定されて60年を過ぎますが、世界的に見てまだまだ到達しえたというには遠い気もします。

日本は大丈夫・・・といえるでしょうか?

差別やいじめは、いまも現実の問題で、これは人権問題の根幹にかかわっていると思います



岐阜女子大学教授の小山田隆明さんの資料には、

2.「いじめ」とは他の人に対する攻撃です。

「いじめ」の定義を文部科学省は、次のように変えました。

従来の定義
「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的攻撃を加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」

最近の定義:「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的苦痛を感じているもの」
「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行う」(2007.1.9)。いじめている側
に積極的な加害意思がなくても、「いじめ」は生じます。

とあります。さらに「心理的な攻撃による<いじめ>」として

仝斥佞砲茲觜況發如∩蠎蠅防垈感や苦痛を与える行為
態度による攻撃で、無視(しかと)、口を利かない、仲間はずれなどにより相手に不快感や苦痛を与える行為。

(物理的な攻撃による「いじめ」 略)

このような他の人への攻撃は、成人の場合には刑法が適用され、犯罪や人権侵害になりますが)、少年の場合には人格が未成熟で発達途上にあるため、「少年法」が適用され非行とされます。

とあります。

画期的なのは、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行う」という文部科学省の考えです(残念ながら、まだこれが刑法のい解釈に及んでいませんが)。

いじめなどに起因する自殺などで学校側が記者会見すると「その事実を認識していなかった・・・」という弁解に終始することが多いような気がします。

心理的ないじめは目に見えにくいので、見過ごされがちです。もし自分の子どもが・・・と考えると、守れるのはやはり親の立場が大切だと思います。

私もかつて埼玉県の中学校2年生の女子生徒からいじめの相談を受けたことがありました。電話相談でしたので会ったことはありませんが、相当深刻な内容でした。

教員に話をしても取り合ってくれない・・・ということでした。実は私自身も小学校の頃、朝、図書館に行っている間に給食費を盗まれたことがありますが、教員は取り合ってくれず、悲しい思いをした記憶があります。このときは母親が私のことを理解したうえで、別途支払いました。

いまだにこの教員は嫌いです。しかし世の中ではしばしばこういった事実に遭遇せざるをえません。
心理職や社旗福祉職のめざす方向性の柱としてエンパワメントがあります。私は私自身のいくつかのいやな経験から、これを大事にしているつもりです。


マイクロカウンセリング実習の報告


昨日の実習は、「基本的かかわり」 について、というものでした。

関西学院大学のサイトによく整理されたものがありましたので、転載しておきます(部分改)。

..............................................

1)かかわり行動

かかわり行動には、次の四つの重要な項目が含まれている。

1,視線(ここの文化にあった視線の合わせ方をする)

2,身体言語(リラックスしたポーズや動作をする)

3,声の調子(ごく自然な話し方をする)

4,言語的追跡(カウンセラーの方からは決して話題を飛躍させてはならない)

 

2)開かれた質問と閉ざされた質問

1,開かれた質問ずつうえの段階にあがり、技法の階層表の順上にある「技法の統合」を習熟する。マイクロ技法の階層表を修得すると、多くの異なる状況下でこれらの技法と概念を用いる準備ができたことになる。(Open Question)

 話し手の自由な応答を促すような質問で主体的に発言できる。一言では答えられないようなものである。その形態としては、どんな、どのように、何々してくれませんか、どうして、などの質問がある。話し手に話の糸口を与え、話し手を満足できるが応答の自由が高いだけに注意しなければならない。質問があまりにも漠然としてしまって、話し手がなにを話せばいいかわからなくなる場合もある。開かれた質問への応答の難しさを少なくし、聴き手の質問の質問の意図を明確にするためには、開かれた質問の前に適度な挿入することが望ましい。

2,閉ざされた質問(Closed Question )

 話し手の応答が限定されていて、「はい」「いいえ」もしくは一語か二語で答えられるような質問を閉ざされた質問という。閉ざされた質問は、聴き手の意図に従って聴き手から情報を引き出そうとするときに用いられる。その形態としては、「……ですか?」「……しますか?」などの質問がある。話し手が応答するのは楽であるが、この種の質問を続けると受け身になり、たずねられたことしか答えなくなりがちである。

 その上、人間には、アンビバレンスな気持ちを持っているので(相反する二つの感情)を持っているので「はい」「いいえ」で答えさせると無理がある。しかし、もともとあまり主体的でなく、嫌々ながらきたようなクライエントに対しては、閉ざされた質問で答えやすいことをたずね、まず口を開かせることから始める方が面接を進めやすい場合もある。閉ざされた質問は、話し手にとっては答えやすく、短い答えで答えられるものであり、聴き手には必要な情報を手早く収集するのに好都合である。

.......................

たまたま研究会メンバーの石堂さん(沖縄からわざわざ出席)がお隣で、実習でカウンセラー役を担当されましたが、職業柄、とても上手でした。

改めて、マイクロカウンセリングが心理療法の統合を目指していること、カウンセラーの資質の向上を目的にしていることがよくわかりました。


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